今回のテーマを「ナナメ編」としたきっかけは、ある時音くんが僕に言った「揺れって、難しいっすよね」というひとことでした。「揺れ」とは例えば「スウィング」 – ミュージシャンの間では音楽ジャンルのことではなく、「シャッフル」あるいは「ハネ」などという呼び方でも通じている、拍と拍の間を均等に割るのでなくて少し「後ろに」ずらして演奏するタイム感のことです。ちなみに拍とは音楽を聴きながら「いち、に、さん、し……」と数えることのできる時間の区切りのこと、拍と拍の間とは言うなれば、シャッポのアルバムタイトル「a one & a two」の「ア」に相当するものだと思ってください。
ミュージシャンは「グリッドから外れたタイミング」が好きですよね。拍と拍の間が1/2(8分音符)、1/4(16分音符)……と刻まれた時間のグリッドから「自由になって」演奏することが「揺れ」やグルーヴを生み出すと思っているミュージシャンは多いです。しかし僕はあえて言ってみます。揺れるだけではグルーヴは生まれません。揺れと、揺れてないものの「せめぎあい」がグルーヴになるのではないかと、僕は思っています。グリッドから「ナナメ」の位置にある音たちは背景にそれぞれの歴史や文化を持っていて、音たちにそれを「語って」もらうことで音楽やグルーヴに対する見方を深めていこうというのが、今回のテーマです。
音符をナナメにずらしてノリを良くする方法は、スウィング系のように「後ろにずらす」だけではありません。シンコペーションといって、拍・その1/2・1/4……といった主要な時間の区切りとは違ったポイントに音を持ってくる方法もあります。これらはナナメの位置にある音符を使っていますが、1/8, 1/16……といった細分化されたグリッドから見れば、そこから外れているわけではありません。ここは混同されがちです。タイム感のことと、音量や音色、そしてフレーズ自体が生む「揺れ」のこととは区別してとらえる必要があります。
拍と拍の間を均等に割って演奏する音楽と、後ろにずらした「スウィング」系の音楽とは、どちらが「古い」でしょう?1970年代から現在にいたるシーンでは均等な音楽が「新しく」「カッコいいもの」とされてきましたが(その方がパソコン上で作りやすいし)、それ以前、1930年代、40年代、50年代のUSの音楽ではむしろ揺れているメロディーの方が普通でした。というか当時のUSのミュージシャンは多分「揺れない演奏」というものを知りません。ティン・パン・アレイの歌曲やビッグバンドのスウィングジャズ(スウィングというと普通はこのことを指しますね)、ポップスの「主流」感はむしろこちらの方にありました。たぶん歌詞との関係もあるのでしょうが僕は詰められていません。この「主流」の影響力はとても強かったので、例えば日本のシーンにおいても、服部良一さんから河内音頭まで、スウィングすることが「新しく」「快活なもの」とされた時代があります。
では「スウィング・シャッフルする」ことが一番「伝統的」で「自然」なタイム感なのでしょうか?どうもそうではなさそうです。初期のブルースやラグタイムはシャッフルしていません。そして目をUSから拡げて、カリブ海や「ラテン」地域のポピュラー音楽、つまりタンゴやサンバ、そしてキューバ音楽を楽しんでみると、これらの音楽がスウィングのタイム感で演奏されたことは、一度もなかったことに気づきます。USのスウィングの「揺れ」というのは、1920年代後半(今からちょうど百年前)に、その時代のウキウキキラキラ感を表現するのに適していたために、たまたま「主流」になったのではないかと思われます。
じつは「ラテン」音楽のほとんどは、グリッドから外れることを「揺れ」と呼ぶならば、「揺れ」ていません。ではこれらの音楽から感じるすばらしい揺れやハネ、あれは何なのかというと、主に「1.5」の作用で生まれています。「1.5」というのは(もっといい命名がないかと思っているのですけど)音符でいうと付点8分音符や付点16分音符など、音符1.5個分の時間を使ったリズムパターンのことです。キューバで生まれたクラーベ clave というリズムがその代表です。例えばクラーベの前半部分は
| 1.5 1.5 1 |
のように、3つの音がこの順番で4つのビートの中に入っています。言い換えると、4拍を8等分した時間を3/3/2と区切るリズムになっています。4拍を基準としたグリッドに対してはナナメですが、同じ時間を8つに細分化すればグリッドに合っているのです。むしろそのタイミングが厳格になればなるほど、音楽の全体としては揺れていきます。
この「1.5」系のリズムを持つ音楽は古い「ラテン」音楽に限りません。ダンスホールレゲエやヒップホップからはじまって、インドネシアをはじめとするアジアのポップスやその影響を受けたK-POPからドラマの音楽まで、たぶん現在地球上で作られている音楽の、数で言ったら圧倒的なシェアをこの「1.5」系のリズムが占めているのではないかと思います。
かつてポップスの「主流」であったUSのスウィングは、歴史上常に「1.5」系のリズムに「包囲され」、ことあるたびごとにそのパワーに押されながら、むしろ押されることによって「光って」きたといえるのではないか、と僕は思っています。チャック・ベリーやリトル・リチャードの生み出したいわゆる「エイトビート」も、ジェイムズ・ブラウンの生み出したいわゆる「16ビート」も、実は「1.5」系あってのものではないかと想像するのです。
そして、僕などが(多分音くんも)最もワクワクすることは、そのように異なった「ナナメ」を持つ音楽が出会う瞬間のこと、二つの音楽がその境目でせめぎあい交渉することで、新しい音楽となって現れる瞬間のことです。イベントではそんな瞬間のいくつかを紹介したいと思います。ただし「世に棲む音楽」は音楽史の講義ではないので、歴史的な正確さよりも、僕や音くんがどんなにワクワクしたか、ということを基準にしたいと思っています。
(イベントではここでいくつかの音源や僕の楽器を使ったプレゼンを聴いていただきますが、この投稿ではネタバレ回避のため、明らかにしません)
こうやって音楽を聴いてくると、「スウィング」系と「1.5」系とでは、問題となる音符がグリッドに沿っているかどうかよりも、ナナメの音符によって、主となる拍の感じ方が変わってくることに気づくかと思います。
「スウィング」系の音楽のナナメな音が指し示すのは、あくまで、4つの主たる拍です。実際、演奏していてスウィング具合が上手くはまっている時は、演奏しているナナメの音符よりも、その「次に来る」拍が、みずからピッタリの位置に「やって来る」ように感じます。強調する拍が1・3拍目なのか2・4拍目なのかといったバリエーションはありますが、時間の区切りという観点では、「スウィング」系の音楽は、拍の存在を、それ以外の区切りよりも重要なものとしてゆく効果があるように思います。
それに対して「1.5」系の音楽では、1.5の長さを4分音符1個半と捉えるか、8分音符1個半ととらえるかで、そもそも「拍」をどの時間に設定するか、そのやり方が一つではなくなってきます。レゲエでもサンバでも、同じ曲を「いち、に、さん、し」と数えることもできるし「いいーち、にいーい」とも、さらには「いちにさんしにいにさんし」とも数えることができるという感じです。いわば、時間をどう区切るかの基準が重層的になり、それぞれの区切り点の間のどれが主かという「格差」もなくなる方向に、音楽が向かっていきます。「いち、に、さん、し」の内どれを「いち」と数えても良くなってくるし、拍ではなく細分化された音符の方を「アタマ」と感じてもよくなります。さまざまなスピードで流れる時間を一度に感じることができる、これが「1.5」系のリズムの作り出す「揺れ」、「ハネ」、ようはグルーヴが生まれる源ではないかと思っています。
グルーヴ、つまり音楽が時間を組織するやり方には、メロディや歌詞とはまた違った意味で、音楽を担う人々の「本心」を伝える力があるのではないかと僕は思っています。その力はプラスにもマイナスにも働いて、自分たちが踊れない音楽を「遅れている」とおとしめる基準にすることもできれば、境界の向こうにいる人々の心持ちを見つけるためのすばらしい「よすが」にもなってくれます。できれば後者のように音楽を楽しみたいものです。そのためには予断から自由になって、音楽を音自体に語ってもらうことを手がかりとしたい。それが今回のテーマの背景であり、「世に棲む音楽」を通して僕がやっていきたいことでもあります。

2026年2月19日(木)
エマーソン北村の「世に棲む音楽」at HOME/WORK VILLAGE
第5回 「音楽におけるタテとヨコ – ナナメ軸(スウィング)編」
イベント詳細はこちらです。
https://www.emersonkitamura.com/schedule/2026/02/4165/
ご予約はこちらです。
https://yonisumu0219.peatix.com/
