ソウルでお客さんと話したこと

ライブの日に出会ったことを、本当の意味でまとめるのは意外と難しい。音楽的に次のライブに役立つのは間違いないのだけど、出来ごととしてそれが自分の腑に落ちるまでには、時間がかかる。印象に残った音と人、対する自分の反応、本当はこう反応したかったけどできなかったこと、などは整理されないまま、脳内の「○月○日どこのライブ」という箱に放り込まれて、大抵は(言葉のレベルでは)そのままになってしまう。まして、COVIDによって7年ほど間の空いた今回(2025年9月)の韓国ライブツアーは整理できないことが特に多くて、このままでは忘れてゆくだけだから、脳内の箱に放り込む前に書いておこうと思う。

今回のツアーでは2本ライブをした。VIDEOTAPEMUSICくんバンドとして全羅南道・シナンのThe Grateful Campというフェスに参加し、そのあとソウルに戻って、モレネ市場(仁川にあるのとは別)の只中にあるゴクラクというクラブでVTMくんのライブと自分のライブ(エマソロ)をした。韓国のライブはPAの音が良い。特に低音に余裕があるというか、普段ダンゴになってしまいがちな低音の要素が上手く識別できるから、でかい音を出してもうるさくない。シナンのフェスに出ていたオルタナと韓国伝統音楽を融合させたバンドでは、エレキベースと伝統楽器(詳しくは見えなかった)が同じ音域なのに両方がとても良く聴こえていた。生演奏テクノバンドのアナログシンセもいい音だったな。お客さんのリズムのとり方の基準が日本に比べて倍のスピード(というか最近のふんわりと揺れる日本のお客さんの方が、僕の解釈では楽曲の拍子の半分の動き)だから、ステージ上と客席がどう「同期」しているのか、見ていて伝わりやすい。

エマソロの後で声をかけてくれるお客さんも多かった。大体、日本以外のライブで僕に声をかけてくる人の感想は「好みのしっかりした」ものが多い。マンチェスターの若者はレッドエールを飲みながら僕のオルガンミュージックの影響について語り、ロンドンの男は帰りがけに一言だけ自分のリントン・クウェシ・ジョンソン体験を話してゆき、ケルンのレコード店のお客さんも、(これは日本だけど)アジア旅行の途中で大阪のライブに寄ったブルックリンのカップルも、何か一言あるというか、ジャンルなどは気にせず、自分の好みに照らして僕の演奏がどうだったかを語る。予想に反してエマソロに音頭などの「日本的、民俗伝統的」なものを求める声は、ロンドン以外ではあまり聞いたことがない。

モレネゴクラクのイベントではアジア各国の制作によるさまざまなレゲエやダンスミュージックがかかっていた。ちょっと前ならばこういうDJは職業病的に「この曲はあのレゲエ曲のトラックを借用して、このメロディに自分達の言葉を乗せたのだな」などとリバースエンジニアリングしながら聴くのだけど、今回のようにあらゆる言葉とあらゆる時代の質感でまとめられた今のトラックが並列してつなげられていくと、もはやそんなことには意味が感じられなくなってくる。あるのはどんな歌詞を伝えているのだろうということと、それをちゃんと音で伝えられているかどうかだけだ。途中で僕の70年代タイ・ポップのカヴァーもかかったけど、しばらくは自分のトラックだと気づかなかった。

そのお客さんに20代から40代と思われる男女の音楽好きグループがいて、イベント後にゆっくり会ってみたのだけど、彼らの感想は今まで聞いたことのないものだった。エマソロには「あらゆる歴史を感じる」という。それも「日本的、民俗伝統的」な歴史ではなくて、

「韓国も日本も圧倒的なUSの音楽の影響の下でポップミュージックを進化させてきた。僕(グループのひとり)の父親も日本のシティ・ポップを聴いてきたけど、エマソロはそれとも違う、今の韓国のシーンにはない要素がある。あれは何か?エマーソンが考える日本のポピュラーシーンの最高の時代とはいつか?」

ということを僕と話したいのだった。何と的確な質問なんだろう。夜中の24時過ぎに(先方は)焼酎?をがんがん飲みながら、ChatGPT越しに。

確かにエマソロが影響を受けている「古い音楽」は、DJでかかったようなレゲエ・ロックステディだけではなくて、1980年代ニューウエーブだったり、1930年代ジャズの歌ものだったり、時代もシーンも雑多だ。それを総称して「歴史」と言ってくれるのなら、とても嬉しいし、質問は今の韓国シーンの音楽のことまで見渡されている。すばらしいことだ。

それは間違いないのだけど、同時に、「嬉しい」だけでは済まされない何かもあるような気がして、ツアーから帰ったあともずっと引っかかっている。例えば彼らの親の世代、ということは僕と同世代ということだけど、彼らの中で日本のシティ・ポップはどんな風に「鳴って」いたのか。バブルのさなかに、ついていけない気持ちでそういう音楽を聴いていた僕と、民主化闘争の中で、苦労して海外の音源を探していた彼らの親世代とでは、それぞれの中で聴こえる音楽の「鳴り方」は違っていただろう。あるいは、僕はリアルタイムではぜんぜん掘っていなかった、1970年代から80年代の韓国ロックの太い流れ。さらに遡って、僕が「日本のポピュラーシーンの最高の時代」という質問の答えに挙げた1950年代後半〜1960年代前半。もっと遡って、韓日の米軍基地で行われていたジャズと、その影響を受けた当地のミュージシャン達の演奏……こんな歴史が、彼らの中ではどういう風に「鳴って」いくのだろう?知識として間を埋めることはできるけど、僕が想像したいのはその時その場所にいた人にとってそれがどんなもので、2025年のソウルに暮らす彼らには、それがどう聴こえるだろうかということだ。クラブに併設された「日本式呑み屋」でがやがやと話をしながら、その途方もない場所と時間と人の隔たりを想像する。同時に、歴史に意識的であることが、お客さんと僕のやりとりをこんなに的確で気持ち溢れるものにするんだということも初めて体験した。

クラブでトイレを探して、清潔で落ち着いた雰囲気の廊下を見つけたからそちらに行くと、スタッフと常連さんから「ここは女性専用エリアだ」と言われ、丁寧にしかし迅速に出されてしまった。お客さんとスタッフにあやまって、教えてくれたことに感謝しながら男性用トイレを尋ねると、そこから離れた別のエリアにあった。ハイスペックで解像度高い音響の中で体験される「古い音楽」。東京その他のクラブでも「こうなっててくれたら」と思う、細かいけど様々な配慮が実現されている現場。そしてクラブから一歩外に出ると、僕の子供時代そのままであるような市場の風景。その背後は高層アパート。『中くらいの友だち』というとても良い雑誌も出されている伊東順子さんの『韓国 現地からの報告』という本にあった、「韓国の人々は様々な場面で私たちの前を走っている」という言葉は本当にその通りだなと、帰ってきてから思い出している。