COVID-19闘病日記 (4) 2021年9月~10月、およびその後

9月7日(火) day 35 / 連れ合い day 22

二人とも退院したとはいえ、まだまだ越えなければならないことは多そうだ。連れ合いは明け方になると必ず咳が出て、そのために二人とも毎朝5:00に目が覚める。昼間は比較的調子がいいので、一日一回、外を歩くようにする。近所の最も近い店である花屋から始めて、最も近い商店街、次に近い商店街、大きな公園へと、徐々に目的地を遠くする。普段なら簡単に歩ける場所が結構な距離で、体力が落ちていることを思い知らされる。
それから次に二人がやったのは、家の中の大きなものを処分することだった。布団から始まって、椅子、置き場所の定まらないCD棚、さらには特に病気とは関係のない電気製品まで、今まで減らしたいと思いながらそのままになっていたものを、スイッチが入ったように次々と、リサイクルや粗大ごみに出す。ひと月たつと、ずいぶん部屋ががらんとなった。
この日の夕方、久しぶりにツイッターを開いたら、カーネーションの直枝さんらもCOVIDに罹ったとあった。同年代のミュージシャン。反射的にメールを書いて、連絡先を知らなかったのでバンドのアドレスに送った。文面はこんな感じ:「エマーソン北村です。ただ今Twitterで、直枝さんがCOVID-19に感染し、自宅療養されているというツイートを読みました。実は、僕も先月頭にCOVIDになり、現在も自宅療養をしています。それで、僕の経験から強くお勧めしますが、発症初期である今の内から、入院を含む適切な医療を受けられるよう、保健所や区に強く働きかけ続けることを、本当に強くお勧めします。」今読むと、言葉が混乱しまくっている。この時はそんなことに気がつかないほど、一刻も早く知らせたかったのだ。

9月10日(金) day 38 / 連れ合い day 25

退院から一週間しても連れ合いの咳が止まらないので、予約していた日よりも早く病院に行って、診てもらう。原因は分からないままだったが、薬を処方してもらう。結局この後9月中旬から下旬にかけて、だんだんと咳はおさまっていった。
僕はお金についても世間知らずなので、高額療養費のこともこの頃になってから調べた。国民健康保険において、ある月の医療費が一定額を越えた場合、申請・審査の後に、越えた分の金額が支給されるもの。僕が住んでいる区の場合は、入院後4ヶ月ほどして書類が送られてきたので、申請をした。

9月14日(火) day 42 / 連れ合い day 29

僕の通院日。採血とCT。肺炎の影はずいぶん薄くなった。昨日でステロイドの服用も終わった。しかし医師からは「体力が完全に戻るには、まあ半年かかるでしょうね」と言われる。
この頃読んでいたものは、ヴァージニア・ウルフの「幕間」とH.G.ウェルズの「世界史概観」。

9月18日(土)day 46 / 連れ合い day 33

台風の残りの雲が来て朝から激しい雨。

9月19日(日) day 47 / 連れ合い day 34

散歩の「最終目的地」に設定していた、少し遠いけどお得なドラッグストアまで徒歩で往復する、を達成する。

9月24日(金) day 52 / 連れ合い day 39

ぼちぼちと仕事的なことも始めた週の、通院日。先日の血液検査で一点気になることがあると言われ、詳しく聞くと、血栓のできやすさに関わる数値が高いとのこと。COVIDでは、症状が収まった2ないし4ヶ月後になって、血栓による肺閉塞や脳梗塞のリスクが高まる場合があるとのことで、それを予防するため、入院中にも飲んでいた薬を再び飲むことになった。要は血が固まるのを抑える薬なので、数日後のワクチン接種の際には(退院後に予約し直した)、注射後にしっかり止血できるよう、医師に伝えること。薬を二週間飲み、その時点で再び血液検査をしたら、幸いなことに数値は元に戻っていた。

10月4日(月) day 62 / 連れ合い day 49

この間、ワクチンを接種して比較的高い熱が出た。しかし解熱剤を飲んで丸一日寝て、翌日になったら平熱に戻っていた。
この頃になってやっと、睡眠の質が戻ってくるようになった。夜中に何度も起きるということがなくなり、朝には「眠い」と感じることができるようになった。寝るのにも体力が要るものなんだと実感。
連れ合いと「病人食ではないが、油や塩がキツくなく、かつおいしい食事は何か」を議論する。退院からこれまで、一番食べたメニューは豆腐にめかぶにじゃこ。最も豪華だったのは白身魚を炊いたり蒸したりしたもの。肉を食べるようになるのはまだ少し先だ。不思議だったのは、あれほどよく飲んでいたコーヒーがぜんぜん飲めなくなったこと。これも徐々に元に戻っていったが、今から思うと、やはり味覚障害だったのだろうか。

10月5日(火) day 63 / 連れ合い day 50

観たい展覧会があったので、連れ合いと久しぶりに電車に乗って出かける。途中吉祥寺でパンを買って、井の頭公園の池のほとりで食べる。我々がCOVIDにかかる前、「ただのコロナ禍」を過ごしていた時には、二人であるいは別々に、よくここに来ていた。今こうやって久しぶりに来てみて、感慨深いかなと予想していたのだけど、意外に何の思いも沸かなかった。やはり少し、感情が摩耗しているのだろうか。ただ、街が変わらずにあることが、なんだか不思議だった。たった二ヶ月の間だから当たり前なのだけど、それが嬉しくもなく、嫌でもなく、ただひたすら不思議だった。展覧会はとても良かった。


2022年2月9日(水) day 190

紙に手書きのメモは10月6日で終わって、その後日記は、従来の手帳に戻った。今はこの日記をほぼまとめ終わって、そろそろサイトにアップしようとしているところ。今日はday何だろう、と思って日数計算サイトで確かめたら、発症してから190日目だった。

10月以降の経過。秋になると、皮膚が荒れて、びっくりする量の角質が部屋に落ちている日があった。抜け毛も波状攻撃のように、おさまったかと思うとまた多くなり、現在も良くなっていない。二回目のワクチン接種の際もやはり熱が出たが、二日程度で下がった。11月には作品音源を作り、二人で自転車に乗って区内のお寺に遠出もした。12月の通院日に医師から「COVIDに関しては、そろそろ一区切りですね」という言葉をもらった。ただし「これだけの病気をしたのだから、体の他の部分もダメージを受けているかも知れない。それが別の病気の原因にならないか」検査した方が良い、とも言われた。近いうちに、健康診断に行こうと思っている。

今気になっているのは、やはり後遺症のことだ。幸い大きな後遺症には出会っていないが、もともと「今日は体調バッチリで快適!」という生活を送っていないから、細かな体の変調がCOVIDの後遺症なのか、それとも年齢や季節によるものなのか、見分けがつかなくなってきた。特に、記憶力の問題や時々気分が落ちることについて詳しく知りたいと思ったのだが、どこを調べても、後遺症についての確かなリストを見つけることはできなかった。このあたりがやはり「新しい病気」で、まだまだ知見を必要とするところなのだろう。症状の幅広さに応じた、質の高い情報に接することができるようになることを望んでいる。

体の方が「ひと区切り」なのに対して、気持ちの面では、いつまで経っても「自分にとってのひと区切り」がやってこない。いくつか録音の仕事をして、演奏活動の能力はまったく衰えていなかったのだけど、ミュージシャンの冗談によくある「大病を経験したから、余計なものが削ぎ落とされて演奏が良くなった」なんていうこともない。むしろ、病気が良くなって自分を覆っていた苦しさが晴れてきたら、隠れていたいろんな問題もまた表れてきて、そこに見つけたものはまあまあ健康な体と、最悪な家計と、相変わらず悪戦苦闘を続けなければならない自分の生活だった……というのが、今の僕の現実だ。時間のあることだけがありがたいけれど。

それに加えて、コロナ禍の状況がまったく変わっていないことがある。通常病気は、自分自身の「タイミング」に従って起こり、治ってゆく。しかしパンデミックの下で感染症になるのはそれとは違って、自分の他にもたくさんの方が同時に病気になり、治っても周りを見れば、むしろさらに数の増えた感染者がケアされずにいる。そんな状況の中で、心も体もすっきり回復するということはなかなか難しい。さらには、報道を見ると、一部の政治家はCOVIDを、もう軽い病気になったからと、我々から忘れさせようとしているようだ。とんでもないことだ。知見にもとづかないことばかり言って人を混乱させ、それによって大変な思いをした人(感染者とは限らない)の経験を、なかったかのように扱おうとしている人々には、それ相応の責任を取ってもらわなければならないだろう。

熱を出して寝ている間、よく「僕はいつウイルスに感染したのかな」と考えた。初めに書いた感染機会のことではなくて、言ってみれば、顕微鏡レベルでウイルスが僕の細胞に入った瞬間のことだ。僕は生物学を知らないから空想しかできないが、夏の日の、いつかは分からないけどある瞬間に、それは必ず起こった。そして半年間の僕と連れ合いの生活をまったく変えてしまった。病気としては本当に大変なことだったけど、少しだけ、純粋に「不思議だなあ」と思ってその瞬間を想像することがある。それは感染という言葉から通常イメージされる、汚いものに触れるようなできごとではないし、逆に、科学では知りえない「スピリチュアル」なものでもなくて、ただ「ある」か「ない」かで起こること、僕の仕事でいえば「ド」の音に「ソ」の音が加わってひとつのコードができるような、目には見えないけど明確で、後戻りできない瞬間だ。なぜか僕はその瞬間のことを繰り返し想像している。その一瞬と、新たなバランスを取り戻すために必要とした、はるかに長い時間とを比べながら。

さて、まったくすっきりしないのだけど、そろそろ僕も前に進まなければならない。この日記は、誰かに向けて書かれたというよりも、まず第一に、自分に向けて書かれたものだ。心のデトックスをするねらいも少しはあったけど、その意味で効果があったかどうかは分からない。でもとにかく、書けるだけ書くことで、バラバラの切れ端になっていた自分自身の時間を、多少はつなぎ合わせることができたのではないかとも思っている。本当にCOVIDの体験が自分の表現や生活に活かされてくるのは(それによって潰されてしまうことがなければ)、まだまだこれからだと思う。今はまず、紙の上でも頭の中でも、くしゃくしゃになって積まれていた手書きの記憶たちをそろえて、トントン、とやったところ。そんな感じがしている。