今からほんの数十年前まで、音楽を録音するということは、ミュージシャンが集まって「せーの」で演奏することでした。MIDI、そして現在のDAW(デジタル・オーディオ・ワークステーション)に集約された技術によって、個人でいくつものパートを構成し、音楽を作ることが可能になりました。しかし……DAW作業は煮詰まりますよね、機械じゃなくて人の方が。そんな時僕はよくネットのDTM(デスクトップ・ミュージック)情報を探すのですが、個々の作業を上手くやるための解説はあっても、そもそもその技法がどんな音楽的な発想で生み出されているかという話は、あまり見かけません。プログラムだって人が作ったもの、それをいわば文化史的にとらえれば、もっと音楽的に使えるようになったり、使えなくても最悪、煮詰まった時に気が楽になるのではないか、そしてそんな話ならば、テクニカルな話はちょっと……という人とも分かち合えるのではないか。これが今回の「世に棲む音楽」の目ざすことです。タイトルには「宅録」とありますが、MIDIを使わない宅録もあればDAWをバンドで使うこともあり、また「宅録」という言葉には作品のリリース手段を含めたムーヴメントとしての意味もあるので、これらすべてを扱うのは分量的に難しく、今回はMIDIやいわゆる「打ち込み」のことに集中して進めたいと思います。
DAWに至る様々な技術技法の「ファミリーツリー」には、いわば「人がそれに音楽上の何を期待するか」によって、おおむね3つの「ルーツ」があると思っています。
1つ目は、このような技術を「演奏に代わるもの」として見る考え方です。
1930年代に映画がサイレントからトーキーになった時、撮影されたフィルムに合わせて音楽を録音するために、オーケストラの指揮者は「クリック(メトロノーム)」を聴きながら映像と生演奏を同期させました。演出上のポイントと音楽のアクセントを一致させるために、楽譜と指揮者とクリックがいわばDAWの役割を果たしていたのです。テープレコーダが発明されて、演奏のタイミングがテープ上の物理的な位置として現れたことによって、楽曲の時間軸とは別の時間軸 – 巻き戻したり早送りしたり、ジャンプしたり繰り返したり – で音楽が作れるようになりました。現在のDAWの「オーディオ編集」機能は、ここにルーツがあります。そして現在のDAWでは、ほぼ生楽器に聴こえる音色を使って、変更やミックスのやりやすい、ほぼ生演奏のように聴こえる音楽を作ることができます。
2つ目は、唄ったり爪弾いたり叩いたりするのでなく、人間の身体と自意識から離れたところで音楽を作れたら素晴らしい、と考えた現代音楽や電子音楽からの流れです。
この流れの中でさまざまな電子楽器・機材が考案された後で、今僕らがアナログシンセと呼んでいる楽器が生まれました。シンセサイザーはその後どんどんサックスやベースといった「人の」楽器に近づいていきますが、生まれた当初はピアノ状の鍵盤もついていなくて、シーケンサーと呼ばれる一音一音をプログラムして音源を鳴らすモジュールが演奏の中心に位置していました。演奏者の意図から離れた、偶然性を伴ったフレーズを生み出すという現代音楽の発想を引き継いでいたからです。
これらの技術と発想が結びついた1960年代から70年代にかけて、アナログシンセとテープレコーダ(リール・トゥー・リール・テープレコーダー)を使った多重録音が全盛をきわめました。これらを使えば一人でオーケストラ並みのパート数を持った音楽を作れるということで多くの作品が生まれましたが、パートを重ねる方法は、第1のパートを録った後に第2のパートを録ってゆく……という気の遠くなるような時間のかかる作業でした。最初に録ったパートと完全に同じテンポ・同じタイミングで演奏を重ねるにはどうしたらよいか?テープ上に「指揮者」となる信号を作り、それが演奏する「クリック(メトロノーム)」を聴きながら人の手で演奏するか、「指揮者」の発するタイミングをシンセ・シーケンサーの側で受け取って合わせるか。「同期」への関心がここで高まります。
MIDIは、これらの試みがポップミュージシャンにも使える廉価なものになる過程で生まれたものです。演奏の一音一音をデータにして送り手(例えばパソコン)と受け手(例えばシンセ)を繋ぐことで、たくさんのパートを同時に異なった「楽器」に演奏させ、必要とされる演奏を編集によって簡単に作り出せるようになりました。
じつはMIDIデータそのものには時間の概念がありません。データに指定された音を正しく鳴らすためには、送る機材の方で実時間と楽曲のテンポと小節番号や拍といった音楽上の時間とを同期させ、管理しなければなりません。これが、ミュージシャンに「タイミング」についての意識を変えさせるきっかけになったのではないかと思っています。いわば音楽をタテとヨコの「ピアノロール」画面で考える発想です(世に棲む音楽第5回)。またMIDIが広く使われるようになった1990年代に生演奏はパソコンには録れなかったので、演奏を録るレコーダーとMIDIの送り手となる機材を「同期」させるための技法や、そのタイミング精度をいかに高めるかが録音エンジニアと「打ち込み」担当のアレンジャーにとっての重要な課題でした。せいぜい25年くらい前の話なのですが、今やごくわずかの人しか覚えていないでしょう。
日本で大きなシェアを持った「プロ用」ソフトや機材のシーンでは、MIDIや打ち込みを、1つ目の「演奏の代用」として捉える傾向が強かったのではないかと思います。いかに本物のドラムのような打ち込みができるか、いかにアナログシンセのように音色変化を演出できるか……一方、初期のパソコンソフトのシーン(1990年代初頭)には、「トラッカー」と呼ばれるソフトを使い、少ないリソースでいかにかっこいいドラムループを作れるかを競った、初期ドラムンベースのようなシーンもありました。このようなやり方は、打ち込みを演奏の代用ではなく聴いたことのないフレーズを生み出すための技法と考える点で、2つ目の「アナログシーケンサー」の発想に基づいているといえます。僕自身はこのシーンに関わったことはありませんが、当時の打ち込みに共通する感覚として、リソースが少なかった分、MIDIのタイミングに関しては厳しくなり、わずかなズレも聴き逃さず、それを修正するか活かすか音楽的に判断してゆくことが必要とされていた気がします。この流れは、今でもパソコンを使わず「ハードウエア」で音楽制作をする人に引き継がれているかもしれません。
その後のサンプリングを使った打ち込みは、僕には「新しすぎる」ので、話はどなたか別の方にまかせます……ただ、僕がMIDIや打ち込みにこだわる理由には、もうひとつの流れをあげなければなりません。
ファミリーツリー3つ目の「ルーツ」は、家庭や酒場などで昔から好まれてきた自動演奏、いわば「庶民のDAW」とでも言うべき器材とその鳴らされる場とが、連綿と存在してきたことです。
19世紀末に発明されたピアノラやプレイヤー・ピアノと呼ばれた自動演奏ピアノは、紙にパンチ穴を開けるなどした「デジタルデータ」によって演奏され、多くのジャズやラグタイムのピアニストもデータを残しています。ドラムボックス、日本でいうリズムボックスはオルゴールを発想の元に持ち、電子オルガンとの組み合わせでイージー・リスニングにはなくてはならない機材でした。韓国にはトロットやいわゆるポンチャックと呼ばれる流行歌を合理的に制作するための専用MIDIハードウエアがありました。ホームユースの電子ピアノは自分の練習を記録することができますが、これは実は「MIDIレコーダ」です。これらの楽器機材はどうも「プロ用」機材とは一線を引かれているようですが、それは楽器メーカーにおける分類に過ぎないのでは、とも思ってしまいます。
人の姿は見えないのに楽器から音楽が奏でられ、パソコンの画面上を左から右に線が動くとシンセから音が鳴り、傍目には何の機械だか分からないハコに寝ないで取り組む……ひょっとしたら人は、生演奏に感動するのとはちょっと違った方向で、「自動で進む音楽」が好きなのかもしれません。そしてその本質は、別々の時間に構成されたパートがひとつの時間軸に同期して楽曲になる、「シンクロ」の面白さなのかもしれないと思っています。
イベントの詳細・ご予約
https://yonisumu0617.peatix.com/
ピアノラと機械式自動演奏ピアノについてはこちらが面白いです。
https://www.pianola.org/history/history.cfm
