ブラック・カルチャー(岩波新書)

ソロライヴでスライ・ストーンのトリビュートをしようと Everyday People をなぞってみて、あらためてその「作り」に驚いた。3~4個の簡単な音の並びが繰り返しと組み合わせだけで十分なメロディを作り、ベースは音が一個なのにコード進行があり、メロディはコードを気にしていないようできれいに合っている。エマソロの少ない音だけでグルーヴが成り立つ、弾いていてストレスのない「作り」を楽しんでいるうち、この本に出てくる「変わりゆく同じもの」という言葉を思い出した。

僕が音楽上のグルーヴを成り立たせるものとして感じたこのフレーズは本書では、アフリカを出発点として中南米、カリブ海地域、そして合衆国を結ぶ歴史の中で生まれ展開してきた「ブラック・ミュージック」の特徴を表す言葉として繰り返し登場する。そしてこの本は、音楽だけでなく文学からアートや博物館のあり方に至る現在のブラック・カルチャーに広く触れることを主旨としながらも、個々の表現をジャンル分けして終わりにするような「解説」ではなく、むしろそれらの底に通じるものを理解すること、そのために必要なものの見方を示そうとする本だ。そのとき前提となるのは、歴史を知ること。そしてその起点を奴隷貿易と奴隷制においている。

もとはアミリ・バラカの言葉である「変わりゆく同じもの」は、僕なりにいえば、新しい音楽は人の移動にともなって、文化と文化の出会いから生まれること。その際、一方が一方を倒すような形でも、単に集合円が交わるだけでもなく、優位とされる文化の要素を取り入れながら、その意味合いをひっくりかえすようにして生まれること。それは、奴隷貿易によって故郷から引き離され、奴隷制から続く苦難の歴史を生きてきた人々が、自分の声を保とうとする闘いの中で見つけてきたやり方だということだ。ニューオリンズのジャズ、ジャマイカのレゲエ、ヒップホップ。僕がその誕生について考えるとき、「黒人のリズムと白人の和声からジャズが生まれました」式の説明ではあきたらない、もどかしくも惹かれる感じは、この歴史に関係があるのではないかと思った。

歴史を考えるとき、著者が重要視するのは「想像すること」だ。奴隷貿易といっても、誰が、どんな風に連れてこられたか。その毎日はどんなものだったか。女性はどう扱われ、どう戦ったのか。例えば、ブラック・ミュージックで「声」が重要なのはなぜか。声以外に故郷から持ってこれるものがなかったからだ。「想像」の力がないと、このシンプルな点を見落としてしまう。声が楽器のように、楽器が声のようにグルーヴを作ってゆくことを、理解できなくなる。想像することで「わかったような気にさせる」言葉から脱しようとするのも、この本の重要な姿勢だ。

1920年代からスピリチュアル(フリー)まで様々なスタイルのジャズ、リズム&ブルース、スカ・ロックステディ・レゲエ、「ラテン」音楽、そしてアフリカ各地のポップミュージック。どれも僕が好きな音楽たちだが、好きなだけから一歩踏み出て自分の音楽に活かそうとすると、その「本質」はいつも、モヤっとしたものの中に隠れてしまう。果ては「自分はこれらの音楽を形だけ利用しているのではないか」と動きがとれなくなってしまうこともある。ミュージシャンとしての悩みは本だけで解決するものではないけれど、少なくともこの本を読んでみて、関心だけがあってバラバラにとらえていた様々な音楽や表現が、互いに手を取ってすっと入ってくるようになった。「記憶」に関する章は、今日本を含む世界で起きていることともちろん関係する。スライのグルーヴの成り立ちに気づいた時のように、音楽(に限らず文化)を自分のものとして見晴そうとする時、力になってくれる本だ。