一銭五厘たちの横丁(ちくま文庫)

自分にとって大切な一冊が、文庫で再び刊行された。「一銭五厘」のハガキでアジア・太平洋の戦争に徴兵されていった男たちに送る家族写真を撮る、かつての東京・下谷区の人たち。多くはそのすぐ後に空襲で町と共に亡くなった。「写真の中には私がいる!」と感じた著者が1975年の同じ街を歩いて、そこに暮らした人々と自分の記憶を形にしてゆく。写真は僕の好きな写真家・桑原甲子雄が撮っていて、おそらく地元でカメラを持っているという理由でかり出されたのだろうけど、写真の人々の緊張したり笑ったりする表情がどれも良くて、訴えてくる。自分がいま居るこの街にはたくさんの、今はなくなった風景が重なっているという発想は、個人的に切実な問題だったこともあって、おそらくこの本を読んだ時にはじめて得たものだったと思う。

これもまた大切な映画、アニエス・ヴァルダの「ダゲール街の人々」にも、商店街の人々が家族写真のようにカメラに向かって静止するシーンが組み込まれている。これらに共通するのは、一見気取らず身近に思えて、同時にそこではない遠くの何かに思いが持っていかれるような感覚だ。身近さというものは「家族が大事」とか「つつましくいい感じの暮らし」とかではなくて、否応なく翻弄されながら生活する人々の、ギリギリした思いを含んでいるのだ。「一銭五厘たち…」の写真からは、その後彼らに降りかかる悲惨や、また、写真にいない男たちが戦場で行ったかもしれない加害にまで思いを巡らせることができる。それが写真の力と、ひたすら歩くという非効率な方法で綴られたルポルタージュの力なのだと思う。著者とは別の意味かもしれないけど「自分もここにいる!」と思ってしまう。今回の版では写真がより見やすくなったのが、とてもうれしい。

「国のため」とか言いながら自分の利益をかすめとろうとする者たちによって、私達はどんな苦難を味わわされてきたか。まったく同じ苦難は今この時も続いている。そんな者たちに二度と力が渡らないようにしなければ。選挙が近いから、そんなことも考えた。

(追記)「一銭五厘たちの横丁」には刊行順に、晶文社版、岩波現代文庫版、そして2025年6月に刊行されたちくま文庫版があるようです。僕がはじめて手にしたのは晶文社版で、岩波を飛び越してしまったので、ここで「文庫」「今回の版」と言っているのはちくま文庫版のことです。