VIDEOTAPEMUSIC「Revisit」

VIDEOTAPEMUSIC(以下「VTMくん」)の新作 Revisit。各地での滞在制作から生まれた音源と、コロナ禍を経て制作地を再訪した日記を中心とするテキストからなるカセットブック。ライヴバンドのメンバーでもある僕は昨年から本作の話を聞いていたのでその意味でも待望のリリースなのだけど、それにしてもなぜテーマは「再訪」なのか、音源を制作するだけなら一度だけ訪れればよいのではないか、ということを疑問に思っていた。今回できあがった作品を聴き、文章を読んで、僕なりにその意味が分かっただけでなく、「再訪」することはVTMくんの音楽と映像にとって本質的なことなのかもしれないと思ったので、そのことについて書いてみたい。

僕らミュージシャンは旅をする。演奏して、人と出会い、その土地の場所と時間から自分なりに何かを得て、戻ってくる。僕はプライベートでも旅行は大好きだけど、それとミュージシャンとしての旅との一番の違いは、自分がその土地の人から「見られる」存在になっていることだと思う。特定のアーティストとして認識してもらい、パフォーマンスするのだから当たり前なのだけど、同時に、その土地や人を本当に知るために「何者でもない」ものになってみたいという欲求も常にあって、その段差はなかなか消えることがない。それで、イヴェントがひととおり終わった後、地元の人たちの気配りとフランクさに感謝しながらも、どうしてもやりたくなるのだ。「一人歩き」を。特別なことをするわけではない。計画なく歩いて、VTMくんが再訪日記で書いているように、大抵は地元のラーメン店的なところで食べ飲みして終わるだけなんだけど、そうやって違う位置から同じ風景を見てみると、何かがリセットされて、頭の中が非常に見通し良くなってくる。VTMくんの「再訪」はその「一人歩き」を改めて自らの意思で行ったものなのかなと想像すると、その意味はすっと理解できるものになるのだった。

VTMくんや僕のようにシンガーソングライターでなく、サウンドスケープで音楽を作る人はどこか、自分の存在をレンズとかフィルターのようなものだと感じることがある。自分「が」何かを生み出すというより、そこにあるものが自分を通して音を形作る。そのために自分はできるだけ「見えない」存在になった方が、作品は良いものになる。もちろんそれでも結局は「自分の表現」をしているわけだから、自分が訪れる先の土地と自分との関係は、あくまで非対称なのだけど。そのことに対してVTMくんなりにある種の「落とし前」をつけようとする努力が、この作品を生んだのかも知れない。そしてそれはとてもうまく行っていると思う。

普段は意識していないけど、VTMくんの表現スタイルは広く見回しても、かなり独自のものだ。古いVHSという軸足はあるにしても、ドキュメンタリーではないし、いわゆるヴィデオアートとも違う。その違いは、「見たまま」の映像が多い点にあるような気がする。多くのアーティストならば編集やエフェクトによって映像に何かの意味を付与したくなりそうなところ、例えば彼がライヴで使う映像では、特に変哲もない「見たまま」の瞬間が何度もループされる。それは文章にもあてはまって、今回の再訪日記も、ありきたりなまとめや意味づけはなく、具体的な自分の行動だけが淡々と綴られてゆく。でも実は、膨大なフッテージから一瞬を切り取って、一見「見たまま」と感じるようにサンプリングループするのは、とても難しいことだ。VTMくん自身は多分何も考えずにやっているのだと思うけど、その切り取りにこそ、彼の作品を他とは違ったものにする、アーティスティックな部分があるのではないかと思った。付け加えると、サンプリング自体のクオリティがとても高い。映像のことは分からないけど音楽でいうと、サンプリングされた音が何気なく楽曲にはまっているようで、自分がまねできるかと想像しながら聴くと、むしろそのすごさを感じてしまう。そんな一見技術的と思われる部分にも、自分を「見えない」存在としながら、自分の見たもの自体にしっかり語らせようというVTMくんの姿勢が表れていると思う。

テキストの中で、ミャンマーから移ってきた人々のお店でコラボを提案されながら実現に踏み切れなかったというエピソードが出てくる。それはVTMくんの不誠実さを表すのではなく、まずは自分自身が、彼らにも伝わる音楽を作ろうと自分を試すことで、みずからの立ち位置を明らかにしようという意思の表れだと思って読んだ。僕は(多分心あるミュージシャンはみんな)、幾重にも入れ子になった価値基準の下で音楽を作っている。自分自身が今やアジアの中で大して特別でもない経済環境の下で音楽を作っていながら、ドラムボックスとオルガンによる古い音楽を喜んで集めるような1990年代英欧音楽マニア的な基準も、これまでの「現場」で培ってきた感覚として持っている。そんな入れ子構造によるがんじがらめを「ぶちこわす」ことはもちろん僕の目標なのだけど、それにとらわれ続けることはもちろん、さも入れ子構造などないように振る舞うことも、それを超えた作品を作ることにはつながらない。

そんな僕自身のもやもやに対しても Revisit はひとつの方向性を示してくれる。もちろんそこは文章だけでなく音楽で。これまでの作品の中でも際立って音数が少なく、フロア対応から自由になったキックの音圧(の低さ)によって実現できた見晴らしの良さ。緊張せずに演奏しているピアニカ。パーソナルというのとはちょっと違うけど、滞在制作によって得た要素を意識して聴いても意識しなくても楽しめるのは、そこに自分の思考過程が余すところなく反映されているからなんだなと思った。最後にもう一点。コロナ禍を経て、再訪した先は楽しいばかりではなかったこともテキストにたくさん出てくる。行こうと思っていたお店がなくなってしまったことや、妙に静まっている風景に出会う記述が多い。さっきは「見えない」存在だと言ったけど、VTMくんが自分で撮った写真も合わせてテキストを読むと、そうした彼の個人的な心情もちゃんと伝わってくる。