COVID-19闘病日記 (1) はじめに

2021年の夏、僕は新型コロナウイルスに感染してCOVID-19を発症した。COVID-19(以下COVIDと略す)は、新型コロナウイルスによって引き起こされる感染症のことである。
僕はエマーソン北村というミュージシャンで、東京のマンションに連れ合いと二人で暮らしている。僕が感染・発症したのはちょうど、いわゆるデルタ株によってこの年の日本の感染者数がピークに達した時期だった。COVIDによって高熱を出した僕はすぐには病院で医療を受けることができず、そのために肺炎が悪化して酸素吸入が必要な状態になった。二週間以上の「自宅療養」を経て8月中旬に入院し、約一週間後に退院したが、体のダメージは大きく、その後も自宅で回復を目指す日々が続いた。連れ合いも僕を看病したことによって感染・発症し、僕に一週間ほど遅れて入院。9月上旬に退院した。現在(2022年2月)、二人の健康状態はおおむね元に戻っているが、時おり、以前にはなかった体調の変化を感じることがある。

発症してから退院後しばらくまで、僕は毎日メモをとっていた。レポート用紙にボールペンで手書きしたもので、体温や血中酸素飽和度を記録するために始めたのだが、次第に日々の生活や気分についてもコメントすることが増えて、メモをとること自体が自分の支えになっていくようでもあった。ただ、枕元でなぐり書きしたので字が汚く、ぼんやりした意識の下で書いたことも多かったから、いつか整理して書き直さなければと思っていた。COVIDの症状が一段落した2021年11月頃からその作業を始めたが、メモを読み返して病気を思い出すのはなかなか気力のいることだったので時間がかかり、結局大部分を書いたのは2022年になってからだった。そうやってまとめたのが、この日記である。

このウェブサイトでは日記は全部で4回に分かれている。第2回からは日付順に、おおむね起こったできごとだけを書いてゆくから、この「はじめに」では、今自分がCOVID体験を振り返って、どんなことを感じているかを書いておきたい。なお日記全般に関して、COVIDは現在も変化し続けている感染症であり、症状の表れ方も個人によって大きく異なるから、読んでいただくのに際しては、僕の経験がそのままどんな方にもあてはまるとは言えないことを、強調しておきたい。あくまで2021年夏における、一個人の体験として読んでいただけたらありがたい。

COVIDの毎日は、混乱と奇妙な静けさとが同居する、他とは断絶した日々だった。病状と入院をめぐって次々と予想もつかないことが起こり、その対応にひたすら追われたかと思えば、眠れない長い時間を、堂々めぐりの考えごとをして過ごすときもあった。2020年のはじめから一年半、ミュージシャンとしてまた個人事業者として、僕は自分の仕事を続けるために、コロナ禍と「闘って」きた。しかし、現実にウイルスに感染して発症するという体験はそれとはまた別の、カレンダーのそこだけが黒く塗りつぶされたような、疎外された思いを僕に残していった。それは今も、完全になくなったとは言えない。

感染・発症して僕がまず感じたのは、COVIDはものすごくリアルだということ。それはもちろん病気自体のことでもあるし、政治が人の命に及ぼす影響のリアルさや、自分が人と築く関係のリアルさのことでもあった。
アベノマスクから始まってPCR検査の軽視、そしてオリンピック。コロナ禍が始まって以来の政府の対応には僕もずっと憤っていて、それはこの数十年の政治の劣化の結果だと思っているけど、自分が実際に感染者になるまで、僕にはどこかで「劣化と言ってもこんなもんだろう」と、他人ごとのように思っていた部分があった。しかし、「自宅療養」という名で二週間に渡って放置されている間に、そんな僕の幻想はついに消えた。連れ合いが保健所に電話しては入院を断られているのを隣の部屋で聞きながら、政治の劣化とはこんなに実体があって、壁のように立ちふさがるものなのかと痛感していた。
それに対して、入院した病院の医師やスタッフの方々の働き、友人たちの助け、そしていろいろな立場からの「返信は不要です」で終わる励ましのメッセージ、こういったものは僕に、しばらく感じていなかったリアルな感謝の気持ちを起こさせてくれた。特に、女性や身体が弱かった経験を持つ人ほど、その助けはより的確だったような気がする。

病気の間の時間の流れ方は、日常とはまったく違ったものになる。今でも思い出すのは、僕が「白の時間」と呼んでいた奇妙な感覚のことだ。眠れない夜の明け方、することのない午後などにそれはやってきて、一度それに捉えられると、自分の中の時間は流れることを止めてしまい、それと一緒に感情も消えたようになって、抜け出そうと思っても抜け出せない。体はしんどく、周りも大変なのに、意識は妙に静まり、僕は「ああ、また白の時間がやってきた」と思うのだった。頭の中のことではあるが、これもまた自分にとっては「リアル」なできごとのひとつだった。

僕のCOVID体験の中で一番悔やまれるのは、自分のせいで僕の連れ合いにまで感染させてしまったことである。僕の感染機会は、ある感染対策のなされていないライブイベントに出演したことだった可能性が極めて高いが、そこで不覚にもマスクを外したことも、僕の後悔を一層大きなものにした。しかしその時に僕が感染していても、発症した時点ですぐに入院を含む適切な対応がなされていれば、その後二週間も狭いマンションで僕の看病をした、連れ合いの感染は防げていたかもしれない。
今、再び感染が爆発的に増えるのを見ていると、感染自体を防ぐことはもちろん、残念ながら感染してしまった人に対して早く適切なケアを施すことも、同じくらい必要なことではないかと感じる。感染者がもっと「見える」存在になって、感染していない人と共にパンデミックを乗り越えて行けるようになれば、コロナ禍の風景はもっと違ったものになるかもしれない。そんなことも思いながら、日記を始めることにする。

なお参考データとして、僕は50才台の男性。身長162cm体重現在60kg。酒は普通程度に飲み、たばこは11年前に止めている。子供の時から現在まで数十年間、季節の変わり目に喉を腫らして熱を出すことと、健康診断ではよく「糖尿病に注意」と言われることを除けば、大きな病歴はない。

(続く)